人生100年時代。キャリアチェンジは50歳からでも!

「人生100年時代」という言葉が定着しつつあるなかで、“転職35歳限界説”がもはや過去のものとなっているように感じます。最近では、50代でキャリアチェンジする人もめずらしくありません。もしかしたら、60代からでも遅くないのかも?

そんなことを考えていたとき、50歳でキャリアチェンジした二人の有名人がアンテナに引っかかりました。

一人は、今から200年以上前の江戸時代後期を生きた測量家・伊能忠敬。そしてもう一人は、現在Webメディア「くらしのきほん」を主宰している松浦弥太郎氏。

世代も職業もまったく違うこの二人ですが、その生き方からは、前に踏み出せずにいる人の背中を押してくれる共通したメッセージが伝わってきます。

今回は、この二人の生き方を例に、年齢にとらわれないキャリアチェンジについて紹介します。

 伊能忠敬:50歳でビジネスの世界から離れ、天文学・暦学の道へ

伊能忠敬といえば、初めて日本列島を測量し、正確な日本地図を作った人物として有名。ですが、そのスタートが隠居後の50歳だったことは、あまり知られていないのではないでしょうか。忠敬が生きた江戸時代後期の平均寿命は、30〜40歳と推測されています。そう聞くと、並外れた好奇心と行動力をもっていた人物だと想像できます。

さらにすごいのは、自分の足をメジャーにして、日本全国を実際に歩いて距離を測ったことです。足掛け17年の測量で歩いた総距離は、地球一周分に相当するともいわれています。

■伊能忠敬の人生

千葉県九十九里に生まれた忠敬は、家庭の複雑な事情で各地を転々としながら薄幸な幼少期を過ごしていました。そんな人生の流れが変わったのは17歳のとき。千葉県佐原にある豪商・伊能家に婿入りし、ビジネスセンスを発揮して資産を増やしていきます。商売に精を出す一方で、興味がある天文学・暦学を学ぶことに情熱を傾けていました。屋敷には、5,000冊もの本があったそうです。

49歳で長男に家督を譲って隠居し、念願だった天文学・暦学の修得を目指して江戸へ。ついに、やりたいことを思いっきりできるときが来たと、心踊らせていたのではないでしょうか。そして50歳のとき、自分より19歳年下の幕府天文方の高橋至時(よしとき)の門下生となります。忠敬は至時から多くのことを学び、生涯にわたり敬愛していたそうです。

天文学・暦学を研究していた忠敬が、どうして日本地図を作ることになったのか。そのきっかけは、「地球の直径を知りたい」という願望にあります。それを知るためには、江戸と蝦夷地でそれぞれ北極星の高度を測る必要がありました。そこで忠敬は、幕府が国防のため必要としていた蝦夷地の正確な地図を作ることを名目に、蝦夷地で測量する許可をもらったというわけです。

幕府はそのクオリティの高さに驚き、忠敬に全国の地図を作るように指示。こうして、忠敬は全国を測量する旅を続けることになりました。

1818年、忠敬は地図の完成を待たずに73歳で生涯を閉じます。その後、後進たちによって作業が続けられ、忠敬の死の3年後に完成したそうです。

【伊能忠敬のキャリアチェンジから学べること】

・夢は諦めないで追い続けるとかなう
・新しいことを始めるのに年齢は関係ない
・若者から学ぶ謙虚な姿勢が大事

 

松浦弥太郎:50歳で雑誌編集長からWebメディア主宰へ

松浦弥太郎氏は2015年、50歳のとき、雑誌『暮しの手帖』編集長のポジションを捨て、それまでのフィールドとは違うIT ベンチャー企業「クックパッド」へ転職。Webメディア「くらしのきほん」を立ち上げました。

松浦氏は当時の心境を、インタビュー「松浦弥太郎さんに聞きました、50歳のこと。」のなかで、次のように語っています。

『暮しの手帖』で働いていた頃に、これから50代でどのような仕事をしたいかと考えたら、「自分はまだ伸びるな」という感覚があったんです。もっと現場感のある仕事にチャレンジしたいと考えた時、環境を変えるしかないと思った。今までのキャリアとは違う業界で、未経験の新しいことを始めれば、まだ現場でクリエイティブな仕事をしていける。そこで選択したのは、ITベンチャー企業の〈クックパッド〉だったんです。

 

■松浦弥太郎氏のこれまでの人生

松浦氏のこれまでの人生は、平坦なものではありません。最終学歴は中学卒業、高校中退です。高校をドロップアウトしたのち土木系の仕事や解体屋などのバイトを経験。その頃の心境を著書『最低で最高の本屋』に、「地面を舐めながら、底から上を見るような気持ち」とつづっています。

そんななか、雑誌『POPEYE』に載っていたアメリカの風景に魅了され、18歳のときにサンフランシスコへ。これが、人生の流れを変えることになります。

その後、ニューヨークの古本屋で美術やデザインの本、ファッション雑誌などを仕入れて日本で販売することを仕事にしていきます。インターネットがまだなかった時代、『マスコミ電話帳』に載っているデザイナーやアートディレクター、カメラマンに直接電話をして、顧客を増やしていったそうです。

マンションの一室での古書店営業、トラックによる移動書店の営業を経て、セレクトブックストア「カウブックス」を開業。それからほどなく、雑誌『暮しの手帖』編集長に就任することに。その9年後、50歳でWebメディアの世界に飛び込み、現在に至っています。

松浦氏の生き方で興味深いのは、揺るがない自身のスタイルをもちながらも、アップデートを重ねて時代の変化に適応していることです。

著書『最低で最高の本屋』によると、常に新しいことにトライし続けている理由の一つに、こんな想いがあるそうです。

僕が最初に移動式の本屋をはじめれば、同じようなことが誰にでもできるんだということを示せることにもなると思いました。マンションの一室で本を売っていたときと同じように。(中略)僕も若い頃から年上の人達に影響を受けてきたわけですから、もしも自分より下の世代で僕と同じようなことをしたいと思っている人がいるのであれば、彼らのヒントになるような、新しい選択肢になるようなことを見せたい。

 

松浦氏は、現在54歳。これから先も同じところにとどまることなく、自分が求めるものを目指してキャリアチェンジしていくのではないでしょうか。

【松浦弥太郎氏のキャリアチェンジから学べること】

・自分の可能性に限界を設けない
・新しいことを始めるのに年齢は関係ない
・自分自身をアップデートし続ける

おわりに

今回紹介した二人は、年齢や置かれている状況などにとらわれず、自分のやりたいことに挑戦しています。そして、新しいことを始めるのに、年齢は関係ないということを教えてくれます。

この二人のようにキャリアチェンジするのはそう簡単ではないと思いますが、それが不可能ではないということ、すべては自分次第だということを常に意識していたいものですね。

 

【参考】
『伊能忠敬 歩いて日本地図をつくった男(別冊太陽 日本のこころ261)』、平凡社、2018

「松浦弥太郎さんに聞きました、50歳のこと。」いえ白書コラム いえ白書<実家のこと> 三井不動産リアルティ

『最低で最高の本屋』松浦弥太郎、集英社、2009

 

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